2.一本目のくじ

地元の中高一貫教育の女子校に通っていた私は、そのままエスカレーター式で上のJ大学へ進学する予定だった。

推薦があった上、教師から99%大丈夫と言われていたので、正直大学受験用の勉強はほとんどしていなかった。


また一応すべり止めとして、外部の大学を一校受けたものの、その学校を決めたのは同じクラスの仲の良い友だちMちゃん。

彼女が受けたい学校の学部を、

「Mちゃんが受けるんだったら、私もそこの大学にしとこうかなぁ。」

という舐めたノリで受験した。


ちなみにそのすべり止めとして受けたS大学の学部は、実は上のJ大学よりも偏差値が上、しかも推薦もなし。

だから‘すべり止め’というのは名ばかりで、それどころか上のJ大学よりも入るのは難しかった…はず。


ところがふたを開けたら、大どんでん返し。

上のJ大学は不合格。

S大学には、何故か合格していた。

正直ショックを通り越して、なかなか現実を受け入れることが出来なかった。


当時はクラスの7~8割の人が推薦でその上のJ大学へ行っていて、先の仲良しの友だちMちゃんももちろん合格。

その他多くのクラスメイトたちも、当然のようにエスカレーター式に上のJ大学に行くことになった。

わざわざ合格しにくいS大学に合格し、ほぼ合格と言われたJ大学に落ちるのは、私くらいだった。


兎にも角にも99%という確率に、私はしっかり大きな胡坐をかいていたということだ。


思えばあの受験の日、何かが変だった。

地に足が着いていないような、頭の中がもやっとしていて、どこか狐につままれた感じ。

緊張しているのとはちょっと違うような、とにかく不思議な感覚だった。

本当にあの感覚って、一体なんだったんだろう。

今思い出しても、謎としか言いようがない。

そして結局、そのすべり止めとして受けたS大学に行くことになった。


これがその年、人生で滅多に引くことのないくじを引いた、その一本目のくじだった。


その後、自分がこの受験をいかに甘くみていたかというそのツケを、味わうことになるのだ。

日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~