48.全てひとりで
平成6年の6月を最後に、遂に病院へ行けなくなった。
1型糖尿病という病気を病院にかかることなく、すべて自分一人で背負わなければならなくなったのだ。
I先生は、当時自分が知る限り、地元で一番の1型専門医。
その先生から見放されたと思い込んだ自分は、もはや行き場がなかった。
それ以前に、この病気の唯一の命綱であるインスリンが、これまでいくら努力しても思い通りに身体に馴染んでくれなかった。
なのでもう現代医学では今の自分のこの状況は限界なんだ。
そう思うと、当時インターネットもない時代、他の先生を探し、転院する気力すら残っていなかった。
病院へ行けなくなった時点で、インスリンがあとどれだけ家に残っていたのか、今となっては全く記憶にない。
けれどそこは、自分なりに家に残っていたインスリンを調節しながら使っていたのだと思う。
また、この頃は発病して約7年。
もちろん当時自分は、インスリンが不可欠な1型糖尿病だと認識していた…はず。
なのに何故かその頃、ある記憶が蘇り、それが頭から離れなくなっていたのだ。
それは発病してからある期間、インスリンなしの食事療法のみで過ごせていた時期があったということだった。
今であればそれはハネムーン期か、緩徐型1型糖尿病の初期症状だと、おおよそだとしても言えると思う。
ところが当時主治医だったK先生からは、そのことは知らされておらず、もちろん私はそれらの言葉すら聞いたことがなかった。
そこで、それからはどんどん自分に都合よく頭の中を切り替えて行った。
もしかしたらあの時のように、インスリンなしで生活出来るようになるかもしれない。
または、少なくとも今ほどのインスリンの量はいらないかもしれない、と。
実はこの切り替えて進もうとした方向は、絶対行ってはいけない方向だったのに。
発病して間もなくK先生が、食事療法と運動療法のみでコントロール出来るようになった時、
「よくがんばったねぇ!」
と満面の笑みで褒めてくださった笑顔は、私にとって唯一努力が報われた最高のご褒美だった。
逆にあの期間以外の間は、常にすべてが闘いで、闘っていたからこそ、息が切れたのだ。
それからはあの笑顔だけを励みに、全てひとりで、家に残ったインスリンをそれでも細々と使いながら、これからやって行こうと決心した。
あれから約25年。
ここ数年で、注射器も随分進化した。
追記:
発病当初私は母に、
「インスリンを発明した人ってすごいね!
その人がおらんかったら、私はもうここにはおらんよ。ありがたいよねぇ!」
と、興奮気味に話したのを今でもはっきり覚えている。
元々インスリンはとてもありがたい薬なはずなのに、気づけばいつの間にかそのインスリンに対して、否定的な気持ちを抱いてしまっていた。
たとえどんな薬でも、疑わしい気持ちで飲んだり打ったりすると、効くものも効きづらくなってしまう。
コントロールが難しい時期がどんなに長く続いたとしても、全てを否定せず、まずはインスリンが糖尿病患者の寿命を決定的に延ばしたという事実。
何よりもその事実の方に焦点を当てて、当時ほんのもう少しでも信じてみようという気持ちになれていたならなぁ……と思う。
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