47.夢の見極め
楽器店へ勤め始めて、1年くらい経った頃だった。
就職で一緒に上京した親友Mちゃん(中学・高校と一緒で、その後違う大学に通いながらも演劇サークルで繋がっていた。)が、仕事を辞めて地元に帰って来た。
彼女は地元の会社に新たに就職し、休みが合えば、よく会うようになっていた。
同じくその頃、就職で上京した大学時代のサークル仲間も、気がづくと何故かほとんど地元に舞い戻っていた。
みんな揃いも揃って…。
大学卒業時は、まさかこんなことになるとは誰も思っていなかったと思う。
で、そこからどういう経緯かもう忘れてしまったが、気付けばまた、Mちゃんと二人芝居をすることになっていた。
大学4年の引退公演をした際には、その名の通りこれで演劇活動は終わり!と思ったのに。
考えてみれば東京の会社を辞め、帰省してからもずっと何か忘れ物をしたような気持ちになっていた。
だからこそ、大学時代のサークル仲間が集まった瞬間に、「またお芝居をやろう!」という気になったのだ。
ただ、当時の自分にとってその発想は、どう考えても無謀過ぎた。
楽器店でフルタイムで働き、仕事が終わってMちゃんと時間が合えば、夜遅くまで打ち合わせか練習。
休みの日もなるべく合わせて、ほぼ1日中練習。
しかも本番が近づいた頃には、住宅関係の仕事に就いていたMちゃんの職場=モデルハウスで練習した記憶まである。
普通の元気な人でさえ、とても体力が要りそうなスケジュール。
それを当時、インスリンを入れることに疑心暗鬼になっていたがためにインスリンを減らし、インスリン不足な身体でこんなハードなスケジュールをこなしていただなんて。
そんなことをするから、みるみる体重が落ちて行ったのだ。
では当時何故、そうまでしてそこへ情熱を向けていたのか。
それは今度こそお芝居は、自分の中では最後になるもの、というよりこれで最後にしようと見極めたからだった。
帰省直前に、別に東京でなくても、演劇活動なら地元でも出来ると思っていた。
ところがいざ地元に帰り、新しい仕事にも馴染み、さあまた新たな場所で!と思ったところ、やはり1から知らない人たちに病気のことを話してまでやろうという情熱はなくなっていた。
また、そうまでして入りたいと思う地元の劇団もなかったのだ。
こうして演劇をやりたいという夢は、「諦めた」というより「見極めた」という感覚に変わって行った。
見極めた後はとても楽だった。
目先に迫る最後の公演に向けて、ただひたすら練習すれば良いだけだったのだから。
そして高校時代から始めた10年間の演劇活動最後の公演だったからこそ、必死で臨んだ。
ただその必死さと、二人してかなりハードスケジュールだったこともあってか、本番近くにMちゃんと出会って当時12年目にして、初めてケンカしてしまった。
本番は何とか成功したものの、それから約1年半、Mちゃんとは一切会うことはなかった。
過ぎ去った人生に「もし~だったら」という思いを抱くことは正直したくないけれど、それでももし1型糖尿病になっていなかったら、きっと何かのかたちで今もお芝居は続けていたと思う。
ただここで、時が経ち、驚いたことがある。
この9年後、実は演劇とは全く違う形で夢が叶った…というより、叶っていたのだ。
形や肩書的なものにさえこだわらなければ、やりたいことって出来るものなのかもしれない。
台本の間から、少ししわしわになった当時のチラシが出てきた。
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