5.二本目のくじ
1987年(昭和62年)11月9日(初診の日)。
紹介された糖尿病専門の個人病院、K手内科へ、母と一緒に行った。
朝食抜きで朝一番。
頭がぼぉーっとしながらも、何でこの病院はこんなにも患者さんが多いんだろうって思った。
病院に着いてすぐ、採尿、採血、そしてラムネみたいな飲み物を2~3本飲んだ。
何でここでラムネ?と思ったが、これがぶどう糖負荷試験だったということは、後から知った。
この検査はそれを飲むことで、まず空腹時、1時間後、2時間後、と血糖値がどのくらい、またどういう状態で上がるのか、その推移を見るための試験だった。
すべての検査が終わった後、ようやく診察の時が来た。
白いカーテンをシャッと開けたら、当時にして恐らく6〜70歳くらいのおじいちゃん先生が座っていらっしゃった。
先生が診察室の壁に貼ってある人体図を差しながらおっしゃった。
「これが胃。その後ろにあるのが膵臓です。
で、その膵臓にあるランゲルハンス島にあるβ細胞が、何らかの理由で壊れてしまいました。
原因は不明です。
今あなたのその細胞は、普通の人の約1割しか働いていません。
なのでその残った1割を、大切に大切にしてあげないといけません。
細く長~く生きて行くことがおすすめです。」と。
また残念ながらこの病気は一生治ることはなく、今の治療法としては、インスリンというホルモン注射を一生日々打ち続けていかなければならないと言われた。
そしてこの病気は、世間一般よく知られている糖尿病ではなく、とても珍しい若年性糖尿病、又は1型糖尿病という病名を明かされた。
その割合は年間発症率にして極めて低く、今明らかにされているデーターとして10万人に1人から2人という割合らしかった。
このようにして私は、この年、めったに引くことのない2本目のくじを引いてしまったのだ。
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