14.大学時代の血糖コントロール
大学時代は、一日に打つインスリンの回数は朝1回、2年の冬からは朝晩の2回になった。
打つ回数が少ないというのは、一見楽なようには見えるが、実はコントロールするにはとても難しかった。
使っていたインスリンは、今のような速効型や超速効型はまだ全くなく、持続型や中間型のみ。
なので一日を通して、特に食前後に大きく上下する血糖値を確実に落とすには、あまりにもその効き方は緩く不安定だった。
加えてストレスなどで上がったりすると、すべて底上げ状態。
そこからインスリンを増やすと、今度はそのストレスの状態に応じてバランスを崩し、やがて長く重い悪循環が始まる。
効きが速く短いインスリンが出るまでは、とても厳しく危なっかしい時期だった。
また、自己血糖測定器自体が発病当初にはなく、ようやくそれらしきものが出てきたのが、発病して1~2年目くらいのことだった。
それはリトマス試験紙のような紙に、指先から出した血液を擦り込み、それを水で流すか拭うかして、出た色の変化を見る。
そしてその色でおおよその血糖値を推測するというものだった。
↑どうしたことか手帳の中からひょっこり出て来た当時の測定結果シート。
この頃はまだ、数値的には良いほうだとは思うけれど(これを見るとやはり自分は緩徐型1型糖尿病だったんだと思う)、数値の幅が40ってアバウト過ぎでしょ。
それから発病3年目くらいにしてようやく数値として出る測定器が手に入るようになった時は、とても驚いたのを今でも覚えている。
ただこうして少しずつ新しい薬や便利な医療機器が出てきたのにもかかわらず、その後はやはりどうしても上手くコントロール出来なかった。
今考えても自己分泌がほぼなくなった1型にして、持続型だけでコントロールするには限界がある。
何も食べないでいるときの、ほぼベースのインスリンのみでやっていくようなものだから。
毎朝カロリー調整したお弁当を作り、運動もサークル活動でしっかりやっていても(演劇は知る人ぞ知る半分運動部のようなところがあるのだ)、どうしても上手く行かない。
特に少し前に一度は良くなったかのように見えた自分は、当時、いつも何故だろう何故だろうと、常にその原因を探していた。
そしてその原因を、自分なりに必死で模索したところ、1つは女性ホルモン、そしてもう1つはストレスではないかという結論に至った。
「血糖値が上がればその都度インスリンを増やして入れる。」
今ならインスリンの追加打ちは当然のように患者に任せてもらえるけれど、当時は自己判断でのそれは厳禁。
インスリン量の変更は、次回の診察時の指示を待つのみで、上ったら血糖値を下げる方法として、こっそり食事を抜くしかなかったのだ。
ただ抜いたとして、女性ホルモンの兼ね合いやストレスで、まったく血糖値が下がらないことももちろんあり(というより、ストレスの場合はほぼ下がらない)、実はそれこそが私のよくあるケースだった。
確か最近になって知った言葉で「カウンターホルモン」と言われるものなのだろうか…については、実はインスリン治療を始めて2~3年後には、既に自分の中で何とかして対処したい大きな課題となっていた。
そして中でもその「ストレス」については、その心当たりのある原因を、まるで思い詰められたかのように考えるようになって行った。
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