15.ストレスの原因
実は私は一型糖尿病を発病する以前、というよりそれよりだいぶ遡った子どもの頃から、既にとても大きなストレスを感じながら生きていた。
と言うのも、自分の一番の居場所であるはずの家に居ることが、とても辛かったのだ。
そもそも家庭環境の良し悪しなんて、どこの家庭にも大なり小なりいろんなことを抱えているものだと思う。
が、それを踏まえて考えたとしても、やはり正直悪かった。
父が、今で言う典型的な発達障害だった。
発達障害にもいろいろあるけれど、父の場合、一番強く表れていた症状として、怒りのコントロールが出来なかったのだ。
怒り出すとしばらく止まらず、酷い時には当たり前のように暴れた。
物は飛び、たとえ相手が子どもであっても、容赦なく手も足も上がった。
今で言うDVのようなものだったのかもしれない。
ただ父はとても痩せた体型だったので、私も弟妹も、思春期当たりになるとそれなりに抵抗出来たことはまだラッキーだったと思う。
当時は親が手を上げるのは、社会的にも今ほど敏感な反応はされなかった。
教育の現場でさえ「体罰」が当たり前のようにあった時代。
ただその手を上げる原因が、躾けや教育のような意味あるものではなく、何の根拠もないただ父自身の‘怒り’の感情そのものであったことは、いつも周囲をとても困らせた。
子どもの頃は、どうして父がいきなりとても怖い形相で、火が点いたように怒り出すのか分からなかった。
小さな子どもから見た父は、一人の人間と言う以前に、まずは父親だ。
父親をまだ一人の人間として見ることは出来ず、お父さんとしてしか見ることは出来ない。
まさに先の「演劇の効用~1~」のように、人を深く掘り下げて想像することなんて、ましてや他人ではなく自分の父親に対しては、ある程度大人になるまでは出来ないものだ。
父は幸いなことに、社会に出て普通に働くことは出来た。
けれど私は、いつも家庭で見る父の姿からは、とても職場で仕事をする姿を想像することは出来なかった。
物心ついてから、父と会話らしい会話はもちろんのこと、「おはよう」「おやすみなさい」などの日常の挨拶すらした記憶もほとんどなかったし、また家で見る父は、呼びかけてもほとんど返事はせず、いつも部屋の片隅で本を一人読み耽っていた。
なので父はちゃんと働けているのだろうか、とか一体会社ではどんな働きぶりなのだろうか、と子ども心に心配するほどだった。
思えば発達障害と言う言葉は、昔はなかった言葉。
なかったけれど、そういうハンディキャップを持っていた人は、父以外にもたくさんいたはず。
今だからこそ想像することが出来る。
父本人も相当大変だったんだろうって。
結局父のことを一人の人間として見ることが出来るようになるまで、随分な年月がかかった。
このように、血糖値が落ち着かない元々の原因はずっと家庭環境にあったと、発病して当分のあいだ思っていた。
もっと言えば1型糖尿病になった、その誘発因子は家庭環境にあったとさえ思っていた。
考えてみると私の人生は、病気と父から学んだことがとても大きかった。
もし神さまが生まれて来る時に、私に大きな課題を与えたとしたなら、まさにこの2つのことだったのではないかと思う。
奈良美智さんの絵。
20代から30代(特に20代前半)は、彼の描く絵をよく眺めていた。
中でもこの小さな女の子絵。ただ眺めているだけで心が落ち着いた。
その後も彼の画集をたくさん集めた。
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