18.母の病気
確か私が発病して2年くらい経った頃、ちょうど妹の家出と重なった時期だったと思う。
母は網膜剥離という眼の病気になった。
外から何かが当たった訳でもなく、原因不明で、眼の網膜が剥がれたのだ。
私はその「原因不明」というところから、すぐ思った。
それは私のせいではないかって。
母は私の身代わりになったのではないかって。
というのも私は当初、不安神経症になっていたのだ。
先にも述べた通院先の病院が大家だったため、合併症の患者がけっこう通っていらっしゃり、発病間もない私はコントロールが上手く行かないことで、異様なくらいに眼に対して敏感になっていた。
「こんなに一生懸命がんばっているのに、全然上手く行かん!合併症が目に来たら、もう生きたくない!」
と、母に喚き散らしたことも何度もあった。
母は家族の中では父親の役割も兼ねていたので、昔からずっと家族全員のストレスをすべて受け止めてくれていた。
それがこの度、ついに母の許容量を超えてしまったのだ。
思えば妹のことをとても心配しながらも、発病してからずっと、私に寄り添って一緒に泣き、苦しんでくれた母。
そんな母が網膜剥離を発病したとき、まるで私の苦しみを吸い取ってくれたかのように眼の病気を発病した母に、申し訳なさでいっぱいになった。
その後幸いなことに、手術によって母の眼は回復したけれど、当時のことを振り返ると、必ず思うことがある。
辛い時に傍で寄り添い一緒に泣いてくれる存在というのは、言葉では言い尽くせないくらいありがたいけれど、その状態がある程度続くと、まるでそれはどん底まで二人して落ちて行く運命共同体のようではないかと。
人は誰もが各々に、その人の役割・使命をただひたすら生きてい行く。
人の人生を誰も代行することは出来ないし、自分自身も人の人生の代行は出来ないのだ。
たとえそれが親であっても、子どもであっても、どんなに愛する人であっても。
結局いつかは自分自身の脚で立ちあがらなければならないこと。
それを身を以て体験した。
また一方で世の中には、何時の時代も不条理なことがたくさんあるけれど、そこだけはみんな一緒なんだなぁと思うと、いつも心が救われ少しほっとする。
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