19.大学時代のアルバイトと向き不向き
大学時代は1型糖尿病のコントロールに慣れ始めた頃から、サークル活動だけでなく、いろんなアルバイトを経験した。
家庭教師
公文の採点助手
書道コンクールのお手伝い
競輪場でのアンケート調査
コーヒーの試飲~販売
郵便局の窓口
ラジオ放送のリスナーの声を書き留める係
アパレル販売…などなど。
主治医のK先生には発病当初から、糖尿病患者としての生活として、規則正しい生活を送るよう勧められていた。
特にインスリンを使っているので、食事はなるべく決まった時間にとるように、と。
そして食事量は一日1700キロカロリーと決められていて、今と違って基本的に、医師の指示なくその食事量とインスリンの増減は禁止されていた。
風邪や何かイレギュラーなことがあったら、その都度医師に連絡、指示を仰ぐことになっていた。
その点大学の授業のある日はほぼお弁当持参で行けることもあり、一番理想的な生活を送ることが出来た。
またサークル活動も、ある程度周りに持病のことは伝えていたので、食事や捕食のタイミングなど自由にさせてもらっていた。
ただそうは言っても本番近くなると、どうしても心身共にかなり負担は増えたけれど。
一方アルバイトでは、さすがに自分のペースを守りきれない場合も多々あった。
中でもそれは机上以外の、主に人と接するアルバイトがそうだった。
社会に出る前の、いろんな仕事を垣間見れる時期だったからこそ出来た、いろいろなアルバイト。
それら多くのアルバイトを通して、実はその頃から既に、自分の中でどこかズレのようなものを感じていた。
と言うのも、K先生から言われた糖尿病患者としての理想的な生活(行く行くは今後選ぶべき理想的な仕事)は、どうも自分には馴染みにくいような気がしていたのだ。
実は発病して1~2年経った頃、母と一緒に病院で診察を受けた時のこと。
K先生から母に何気なく言われた、妙に記憶に残っている言葉がある。
「お嬢さんは人としてはおもしろいかもしれないけれど、糖尿病には向いていない(適していない…だったか?)ですね。」と。
そう言われたその時は、さすがに母も私も「向いていないって言われても…。」と、返答に困ってしまったが、時が経つにつれその言葉は、「実はそうだったかも?!」という気持ちに変わっていった。
当時既にご年配だったK先生は、それまでに何千人何万人もの患者を診て来られただけあって、たった1~2年で、見事私の資質や性格を見抜いていらっしゃったのだ。
医師の言われた通り、それこそ規則正しい生活をきっちり守れるような、従順で大人しい患者だったら良かった。
ところが、私はなかなかそうは出来なかったのだ。
大学時代は一般の健康体の人と同じ、もしくはそれ以上のハードな日常をいつの間にか送っていた。
もちろん私自身は、自らの身体を優先して、必死で生活しているつもりだった。
が、どんなにがんばっても、決してその努力と結果が結びつくことはなかった。
病気があっても、やりたいことはやりたかったのだ。
もし1型糖尿病と言う病気が、出来るだけ安静にしておかなければならない病気だったら、また病気に対する姿勢も違っていたかもしれない。
でもこの病気は逆に、幸か不幸かある程度コントロールさえ出来ていれば健康な人とほぼ変わりない生活を送ることが出来るのだ。
ただどちらにしてもあの当時、そういう生活を送ることが出来たのは、若さ故、と言ってしまえばそれまでのことだったんだけれど。
大学時代に経験したアルバイトの一つ、アパレル販売員が、後に一番長いキャリアとなった。
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