22.大学卒業
大学を卒業する前の、一番大きな課題であるはずの卒論。
実は私が所属していたゼミでは卒論はなく、レポート提出だけだった。
なので他のゼミの友だちから、とても羨ましがられたのを覚えている。
また入学時は転部しようとさえ思っていたのに、結局4年間居続けた学部で、何とか無事に単位を取ることが出来た。
というのも私自身はとても不器用なのに、とても要領の良い友だちに恵まれていたからだ。
それにしても卒業は出来たものの、4年間学んだことがしっかりと身に付いたかと聞かれると…、正直穴があったら入りたい。
学費を払ってもらった両親に平謝り。
結局私が4年間本当に打ち込んだことは、高校時代から続けていた演劇活動だった。
そしてそれ以上に何よりも必死だったのは、1型糖尿病のコントロールだった。
4年間の間に、注射器は使い捨ての「見るからにそのまんま注射器」から見た目万年筆のような注射器に変わり、血糖測定器もリトマス試験紙みたいなのから、ちゃんと数値が出るものに変わっていった。
糖尿病医療の進化が、少しずつ加速していく兆しをまさに感じ始めた、そんな頃だったと思う。
さて、いよいよ卒業式という頃、実は私の心身の調子はかなり不安定だった。
教育入院はしたものの、結局全体的な数値(HbA1c)はほとんど良くならなかった。
だからと言って上京することを止めることは出来ず、増してや地元にも実家にも、もはや居たくはなかった。
当時はそんな行き場のない気持ちが、常に渦巻いていたような気がする。
一方で卒業式の服装は、絶対袴!と決めていた。
子どもの頃に読んだ漫画『はいからさんが通る』で紅緒が来ていた袴に、ずっと憧れを抱いていたのだ。
↑画像はお借りしました。
なので今や、たとえ調子が悪かろうと、何とか叔母に袴を着せてもらった当初の写真を見ると、我ながらどんな時でもミーハー根性は優っていたのだなぁと思う。
それにしても何故に上半身がこんなにもシンプル?と思い、母に聞いてみたら、どうやら上は叔母から借りた着物、下はレンタルだったらしい(本人すっかり忘却の彼方)。
せっかくなので、紅緒と同じ矢羽根模様で全てレンタルすれば良かったのに。
これ、まるで巫女。
体重も発病当初から10キロ近く増えて、先行き不安で仕方なかったあの頃…。
でもね、自分で決めたことだもの。
「自分でしっかり責任とってくださいよ!」と、当時の自分に言ってやりたい。
0コメント