26.斜陽、そして幻のカーライフ
入社してあっという間に1か月、2か月と経った頃、会社に不穏な空気が漂った。
そう、バブル崩壊のあおりを受けて、いきなり新入社員全員の給料が、3分の2にカットされたのだ。
あまりのことに驚いて、すぐに実家の母に電話した。
いくら寮で生活しているとは言え、寮費もいくらか払ってもいたし、生活費に医療費、そして大学の奨学金の返済もあったあの頃。
カット前の給料でやり繰りするのさえ精一杯だったのに。
結局情けないことに、しばらく母から仕送りしてもらうことになったのだが、今思い出してもいったい私は何のために上京したのかと、途方に暮れてしまう。
ただそんな状態でも社内は、というより少なくとも私のいた部署の皆さんは、みんな優しかった。
中でも経理部のK部長のお心遣いは、今でも忘れられない。
ちょうどカットされた最初の月だったと思う。
ゴールデンウィーク前に、懐からすっと3万円出して、
「これで田舎へ帰る新幹線代の足しにしなさい。」
と言われたのだ。
あまりの優しさに、思わず涙が出てしまった。
家族もいらっしゃるK部長が、田舎者で常に危なっかしい私のために差し出してくださったあの3万円。
もちろんその後お返ししたけれど、私はあのお心遣いを一生忘れない。
またここでもう1つ、恐らく今までで一番大きな心残りとなったこと。
それは当時、取りかけた運転免許を途中で断念したことだ。
実は上京前の2月の下旬から、地元の自動車学校に通っていて、その後上京するに当たってわざわざ横浜の自動車学校へ転校手続きまでした。
それなのに、私は途中で断念、というよりほとんど諦め、放り出したのだ。
もちろん上記のような金銭的な理由もあるけれど、どちらかと言うと、正直日々の生活でいっぱいいっぱいだった。
そしてどうにもこうにも、私はどんくさかったのだ。
縦列駐車や車庫入れで何度も落とされ、最終的に3段階の見極め(路上に出る寸前だったのに!)で、結局私の世には出ることのなかった自動車人生に自ら終止符を打った。
当時は講習所の使用車が、マニュアル車だけだったというのも私には過酷だったが、何はともあれ、本当にもったいないことをした。
そう言えばこの自動車免許を断念したことで、後々かなりの長い年月、その教習時のことが何度となく夢に出てきた。
その夢がこれ↓
人生、自分の怠け心から、途中で放り投げることって、やっぱり良くない。
出来ることならやり始めたことは、しっかりやり遂げよう!
ということで、この一件は、私の人生の大きな戒めとなった。
小学生の頃、このフォルクスワーゲン社のビーグルという車種を見たら、幸せになれるというジンクスが流行った。
「ワーゲン(実は社名だったということに気付いたのは、大人になってから気づいた)見っけ!」と、誰よりもいち早くみんなの前で宣言するのだ。
そのため、いつか私は大人になったらこの車に乗るんだと思っていた。
現在は残念ながら廃車になったそう。
免許はなくても、一度は乗ってみたかったなぁ。
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