28.記憶にない病院

上京前に主治医のK先生から紹介して頂いた病院へ行ったのは、確か仕事が始まった4月だったと思う。

この「思う」というのは、実はその紹介された病院の記憶が、今どうしたことかほとんどないのだ。

実は病院名すら覚えていないし、診察券も何もかも手元に残っていない。

もちろん30年近く前のことだから、紛失してもおかしくないとは思うのだけれど。

ただそのほとんどない記憶の中でも、おぼろげながらに覚えているのは、古本屋さんがたくさんあった街=神田にあったのではないかと思う。


上京し入社して、一人暮らしや仕事のこと、一気に広がった新しい人間関係など、それらの緊張感やストレスのせいか、当たり前のように血糖コントロールもしっかり乱れた。

大学の卒業式の時点で、発病当初から10キロ近く太ったのが、またすごい勢い痩せ始め、元に戻りつつあった。

その状態は早く言えば、身体からどんどん糖が出ている=かなりの高血糖になって悪化していたのだ。


また当時血圧が低かったので、恐らく上記のほとんど記憶にない病院から出されただろう血圧を上げる薬を飲んでいたこと。

そして高血糖からやたらインスリンが増え、一気に5キロくらい体重が増えたことを覚えている。

そのせいか、顔も身体もまるでゴム風船のように太ったり痩せたりを繰り返し、気づけばいつの間にか異様な食生活を送っていた。


食べても食べても満たされず、お菓子や菓子パン、遂にはロールパンを袋ごと食べ尽くす、しっかり過食症状態。

「誰か止めて!誰か止めて!」と、小さな1Kのマンションで1人、いつも心の中で叫んでいた。

一方、会社へはもちろん普通に、何事もないかのように通っていた。


その後、この状態からいつ、どのようにして抜け出したのか、実はそれすら今となっては覚えていない。

ただ一つ言えるのは、この過食状態が治まったのと、血糖コントロールが何とか正常に戻ったのは、当たり前だけれど、同時期だったと言うことだけ。

そしてこの異常事態を相談するには、上記の病院ではなかったことだけは確かだった。

当時、藤が丘駅のCDショップで買った今井美樹のあの頃ならではのシングルCD。

それを毎晩、ユニットバスに入りながら、繰り返し繰り返し聴き入っていた。

~あきらめないで すべてが崩れそうになっても

信じていて あなたのことを~♪

~だけど最後の答えは 一人で見つけるのね

めぐり続く 明日のために~♪

日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~