31.隣人の危機
その晩、恐らくそれは夜の12時前後のことだったと思う。
寮で私のお隣さんだったTちゃんの部屋から、ものすごく大きな咳き込む声が聞こえてきた。
ちなみに寮の部屋の壁は、一応平成に建てられた新築。
なので昔懐かし昭和の木造建てのような、お隣さんの声が筒抜けと言うほどの薄い壁ではなかった。
なのに聞こえて来たのは、まるで身体の底から出てくるような、とても低くて重みを感じるような咳で、しかもそんな咳がしばらく続いた後、だんだんとそれは聞こえづらくなり、そんな状況に私はとても冷や冷やしていた。
するとちょうどその時、部屋の電話が鳴った。
Tちゃんだった。
そこからはほとんど彼女の言葉、と言うよりゼーゼーという吐く息の声しか聞こえず、それを聞いた途端、即自分の部屋を飛び出し、Tちゃんの部屋に飛び込んだ。
私たち寮生は常に玄関の鍵をかけるようにしていたこともあってか、Tちゃんはその鍵を私が入って来るために開けようとしたのだろう、私がドアを開けたら、その前で倒れていた。
そして忘れもしない、生まれて初めて私はそこで救急車を呼んだのだ。
救急隊員が寮に到着し、そこから私はTちゃんに付き添った。
夜中の東京の道路は、地元のそれとは全く違ってまだまだ車もそれなりに走っていた。
そこをまるで映画『モーゼの十戒』のように、高速で走る多くの車たちをグングンとかき分け、今はもう忘れてしまったが、大きな病院へ辿り着いた。
その時の、一体Tちゃんはどうなるんだろう、助かるんだろうかというものすごい不安感、というより、もはやそれを通り越した圧倒的な恐怖感は、今でもはっきり記憶に残っている。
それから上司に電話し、深夜その上司が病院へ到着。
そしてその時の状況はほとんど覚えていないのだけれど、Tちゃんは入院となり、確か明け方その上司に車で寮まで送って頂いた。
私はそれまで、ずっといつか自分は低血糖で救急車のお世話になるだろうと、思っていた。
ところが初めて乗った救急車には、友だちに付き添うという形でお世話になったのだった。
子どもの頃、救急車のサイレンを聞きながら、一体あれに乗るとどういう感じなんだろうってよく想像していた。
が、今となってはもう2度と想像したくもないし、乗りたくない。
結局Tちゃんは、ストレスから来る喘息だった。
思えばこのTちゃんの喘息の出来事のあった前後くらいから、会社全体の雰囲気も少しずつ変わっていったような、そんな気がする。
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