32.衰退への道
隣人のTちゃんが喘息に倒れたあの頃、会社の経営はますます厳しくなっていた。
私は総務部だったこともあって、同じフロアーの上層部の人たちの顔色が、日に日に暗く厳しくなっていくのを肌身に感じていた。
重ねて営業部の人たちも、笑顔がどんどん少なくなっていき、日に日にやつれていっているように見えた。
元々その頃までは、営業部の人たちは、外回りの営業から大きな声で「ただ今帰りました!」と言いながら、会社の玄関扉から帰って来る。
そこを私たち総務や内勤の者たちが、「おかえりなさい!」と笑顔で返事をしていた。
また私たちが、営業部の人たちからの中間報告(取引先や新規のお店を開拓した時の売り上げの数字の報告)の電話を受け取るときは、必ず最後にひとこと「がんばってください!」と声を掛けてから電話を切っていたものだ。
そんな日常が、ずっと続くものだと思っていた。
なのに、そうはいかなかった。
営業部全員の人たちの顔と名前も、ようやく覚えたところだったのに。
ある時会社に帰って来る営業部の人たちが、いやに少なくなっていることに気が付いた。
今になって思えば当時営業部の人たちは、恐らく上司から死にもの狂いで売り上げを取るように、とても厳しく言われていたのだと思う。
何せ会社の存続は、会社の利益を上げること=直接には営業部の人たちの腕にかかっているのだから。
そんな営業部の人たちのプレッシャーを特に強く感じたのは、同じ寮に住んでいる、一番身近な営業部の人たちからだった。
帰って来るのはほぼ毎日深夜。
その上休みの日は午後からよく、彼女たちの営業の練習用(エステティックのフェイシャル)モデルになった。
↑画像はお借りしました。
彼女たちの部屋には、こういうラテットと言われるものがいつも置いてあり、恐らくこれで練習した後、実際私など、友だちや身内、社内の人の顔で練習していたのだと思う。
そんな彼女たちのものすごいがんばりを日々感じながら一方で、私は内心ほぼ毎日定時に仕事を終え、帰宅させてもらっていることに申し訳なさを感じていた。
そんな思いも含めて、だからこそ営業部の人たちには、中間報告の電話を取った際など、とてもとても「がんばってください!」だなんて、言うことは出来なくなっていた。
たとえそれが常套句だったとしても。
ギリギリのギリギリまでがんばっている人たちにこれ以上、どうしてそんなことが言えるのだろう。
当時は、がんばることは美徳だった。
発する言葉も、ことごとくネガティブな言葉は避け、ポジティブな言葉を選択した。
弱音も吐かず、常に笑顔で。
特に営業部の人たちは、どの部署よりも徹底してそう躾けられたのだと思う。
結局気づいた時は、営業部の3分の1くらいの人たちが辞めていた。
何か理由をつけて辞めた人ももちろんいたけれど、誰がどう見ても心身症になったんだろうと思われる人たちもかなりいた。
一体この会社はこの先、どうなるんだろう。
そう思った頃社長から、以前のお給料カット以上の、信じられないようなお報せが伝えられた。
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