35.帰省してから

1月いっぱいで会社を辞め、結局2月になって帰省した。

地元に帰った当初の日記を開いてみると、どうやら私はまるで糸の切れた凧のようになっていたらしい。

しかもほとんど家に引きこもり状態で。

そんな中、家に居ながらにしてやっていたことは、大体にして読書と、レンタルビデオでの映画鑑賞。

日記にはそれらの記録が、所々に記されている。

また、たとえ街中に出て、偶然学生時代の友だちや知り合いの姿を見かけたとしても、まるで逃げるようにして家に帰っていたようだった。

我ながら、すごい落ち込みよう…。


一方帰省した翌月の3月、上京前に教育入院でお世話になり、その後上京してからもFAXで診て頂いていたIクリニックへ行った。

記録によると体重もまたもや10キロ近く増え、HbA1cが12くらいある。

何と恐ろしい!

当時はペンフィル30RノボリンUの2種類のインスリンでの、計4回打ち。

しばらくこのインスリン製剤たちでコントロールに臨んでいたのだけれど、記録からみると、ほとんど良くならず、ずっと難しい状況が続いていた。


もともとペンフィル30Rというのは、中間型混合インスリン

すなわち速効型:中間型=3:7の割合で混ぜられた、各食前に打つインスリンだった。

そしてノボリンUというのは、持続型インスリン

1日1回、1日のベースに打つ、インスリンだった。


今これらのインスリンのことを思い返すと、当時はとても画期的だったものであっても、自分の身体にとっては、とても合っていたとは言い難い。

すべてが中途半端な効きのため、やはりコントロールは、特に自分のような変動型にとってはかなり難しかった。

けれど当時にしてみたら、地元では最先端だと思っていた1型専門の先生による治療で、そんな薬を使わせて頂いていることに、とても感謝していた。

日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~