36.『TUGUMI』
私が今までの人生で一番多く読んだ小説は、吉本ばななさんの『TUGUMI』だ。
私が今までの人生で一番多く観た映画は、吉本ばななさん原作、市川準監督の『つぐみ TUGUMI』だ。
私にとって『TUGUMI』は、それほどまでにかけがえのない作品で、今までずっと私を支えてくれた、もはや救いと言っても良いほどの作品だ。
つぐみは、この物語の主人公、18歳の少女として登場する。
彼女には2つ年上の陽子という姉いて、その間(つぐみの1つ上)に、白河まりあという従姉がいる。
物語は、東京で大学生活を送っていた白河まりあが、つぐみとその姉の陽子に招かれ、高校時代まで一緒に過ごした西伊豆へ渡る。
実はその西伊豆にあるつぐみと陽子の実家の旅館は、その年で閉館することになっているのだ。
それだけにこの3人で過ごすのは、この夏が最後。
そんなひと夏の物語が、つぐみの従姉、白河まりあの視点から語られていく。
私が初めてこの小説に出会ったのは、実は単行本として出版される以前の、女性月刊誌『マリ・クレール』に連載小説として掲載されていた1988年のことだった。
それは私が1型糖尿病を発症して、まだ1年経ったか経たなかったか、という頃のことで、そんな時に出会ったこの小説の中の主人公つぐみは、私にとって何かとても不思議な存在になった。
つぐみは、生まれたときから病弱で、医者が短命宣言をするほどだったため、周囲から甘やかされ、その結果思いっきり開き直ったわがままな性格になっていた。
ちなみにまりあは、つぐみのことを
「意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い。
人のいちばんいやがることを絶妙なタイミングと的確な描写でずけずけ言う時の勝ち誇った様は、まるで悪魔のようだった。」
と語っている。
そしてそんなつぐみの、時にエキセントリックとも言える程の佇まい(特に映画で牧瀬理穂さん演じるつぐみ)に、思わず持病を発病して間もなかった自分を、しっかり投影してしまったのだ。
実際彼女の台詞が、私が周囲に発した言葉そのものだったりした時は、とても驚いてしまった。
彼女の叫びは、私の叫びで、彼女の怒りは、私の怒り。
彼女の悲しみは、まさに私の悲しみだった。
特にこの物語のクライマックスのあるシーンで、命がけで自分の信念を貫こうとする姿は、もはや自分の分身だとすら思った。
(※一応ここで補足:分身と言えど、実際つぐみの容姿は、さすが物語の主人公!で、かなりの美人さんとして描かれている。なので、そこは憧れや希望も兼ねていた。)
思えば、どんなに周囲から優しい言葉をかけられても、心に響かなかった時期が何度もあった。
(せっかく就職のため上京したのに、1年も経たたないうちに帰省したときも含めて、その後何度も。)
そんなとき、私は自分と同じ闇を持っているつぐみの存在に、ただただ救われた。
憧れも含めたつぐみという分身を、自分の心の中に存在させて、最後、つぐみの再生と共に、私も何とか生き延びようと思ったのだ。
あれから約30年。
物語のつぐみは、発症当時の自分とほぼ同い年のまま。
一方現実の私は、いつの間にか彼女たちの母親世代になっている。
時々小説の続き、映画の続きに想いを馳せる。
つぐみはその後元気になったかなぁ、とか、恋人の恭一とはどうなったのかなぁ、とか。
でもやっぱり私の心の中にはいつでも、あの一番辛かった頃、20歳前後のつぐみと私が、しっかり手を取り合って佇んでいるのだ。
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