37.新しい扉

1月に思いもよらぬ形で東京の会社を退職し、2月に地元に帰って何かやりたいことがあった訳でもなく、その後はほぼ途方に暮れた状態でそのまま冬籠りした。


やがて少しずつ桜が咲き始めた頃、地元の情報紙に、ある企業の求人広告を見つけた。

それは私が幼いころから高校1年生まで習っていたエレクトーンなど、主に楽器の製造販売を手掛ける楽器店メーカーのものだった。

その広告を目にした瞬間、何も考えることなく「すぐ応募しよう!」と思った。

元々大好きだった音楽の仕事に携わることが出来るというだけで、心がわくわくし、またその求人広告の条件は、決してすべてが望み通りというわけではなかったのに、とにかくその会社に入りたいと思ったのだ。


本当はこの時、自分の身体のことを一番に考えて、なるべく規則正しい生活を送ることが出来そうな仕事を選ぶべきだったのかもしれない。

発病当初K先生から指示された、例えば12時には昼食をとることが出来、夕方5時か6時には定時で帰宅出来る、というような安定した生活が出来る仕事を。

(今思うと、当時はインスリンの種類も限られていて、量も常に固定打ちだったということもあったせいか、指示された生活は、実に融通の利かないものだったなぁ、と思う。)


けれど応募する時は、何故か身体のことはそっちのけ。

コントロールも帰省してから全く良くなっていなかったのに…。

当時のことを思い出しては不器用なくせに、何だかなぁと何度も自らを省みる。

若さ故、なのか。


このように、この求人広告との出会いは、ずっと冬籠りしていた私の心がようやくムクムクと動き始めるような、まさにそんな瞬間だった。


そして、5月。

神さまは、そんな私の希望を叶えてくれた。


楽器店は当時、

B1は、ギターやドラムなどの打楽器。

1階はCD・楽譜・プレイガイド。

2階はピアノなどの鍵盤楽器と、管・弦楽器。

3階にはエレクトーンと、音楽教室の受付。

4階から6階までは音楽教室。

となっていて、私は1階の楽譜係の所属になった。


楽譜係は、あらゆる楽器や音源に繋がる係だったので、そこからまた社内のいろんな人たちとの出会いが生まれた。

現在は何度も改装されて、フロアーの様子もガラリと変わっている。

日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~