39.スナフキンのような人
彼女に出会うまで、私の周りにはどちらかと言うと、人生に対して能動的な人が多かった。
未来に夢や希望を抱いている人や、そんな夢や希望を叶えるために、日々努力している人。
そしてそんな人は、いつも周りの大人から褒められていた。
(ちなみに私は高校時代、○○になりたいという具体的な夢がなかったため、担任の先生に叱られたという苦い思い出がある。)
実際学校の先生からは、がんばることは良いことで素晴らしいことと教えられ、会社の研修では、未来の目標を掲げるレポートを、よく提出させられたものだ。
なので私は、巷でよく言われる「がんばり屋さん」こそが素晴らしい人。
がんばることは美徳だと、ずっと思っていた。
が、実はある人と出会って、その価値観はガラリと変わった。
その人とは、楽譜係のリーダーだったNさん。
彼女の初対面の印象は、お顔の造作やその佇まいが、まさにスナフキンだった。
目、特に黒目が大きく、一見どこか達観しているような雰囲気で、常に平常心っぽくあまり感情を表に出さない。
けれど決して陰気ではなく、ポツリと面白いことをおっしゃる。
ただ所作はさすがリーダー、とてもテキパキと仕事をこなし、そこはスナフキンのイメージとはちょっと違っていたかもしれない。
そんな彼女とは、入社して3年目くらいから、グッと距離が縮んだ。
それまでは上司と新人という間柄だったのが、まるで姉妹のように休みの日まで一緒に遊ぶようになった。
そんな中、最初彼女の人柄に、正直カルチャーショックならぬキャラクターショック?を受けた。
先のスナフキンがまさにそうなのだが、彼女の日々の過ごし方に、まったくガツガツしたものがなかったのだ。
職場のリーダーと言うことで、とても大変な立場なのに、彼女の苛立ったところを見たことがなかった。
もちろん内面にはいろんなストレスを抱えていらっしゃったのかもしれないけれど、少なくとも周りからしてみれば、一切そんな雰囲気を感じ取ることはなかった。
あるとき私はNさんに「将来夢とか、やりたいことってありますか?」と聞いたことがあった。
Nさんは「いや、別に。」と、至って普通に答えられた。
その答えられた彼女の雰囲気があまりにも自然で、それまでに私が植え込まれてきた良きこと、または美徳とするものに対するイメージが、少し変わったような気がした。
それがすべてではないのかも?という気持ちになったのだ。
長い人生、何時でも夢や希望を抱き続けることが出来るのは、それはそれで素晴らしい。
でもたとえそういうものがなくっても、日々起こる出来事にただ対処しながら、日常に少しでも楽しみを見出しながら暮らせたら、それもなかなか良いじゃない。
と、そんな良い意味での受動的な生き方を、私は彼女から初めて教えて頂いたような気がする。
それも言葉ではなく、日々の彼女の行いで。
Nさんとの出会い、そのあまりにも自然な波乗りサーフィンのような生き方は、歳を重ねるにつれ、より魅力的な生き方として私の目に映るようになって行った。
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