40.二度目の壁

新卒で入社した会社へは、持病の1型糖尿病のことを伝えて入ったのだが、今回入社した楽器店へは敢えて伝えずに入った。

どうしても入りたいと思った会社だったので、不利になることはなるべく言いたくなかったからだ。


ただ持病のことを誰にも伝えずに働くことは何かと危険なので、まずは直属の上司のNさんにだけ伝えた。

その後は少しずつ、同期の人たちにも伝えていった。

ただ伝え方として、Nさんにはかなり詳しく伝えたが、同期の人たちには病名は言わずに、持病があって食事制限をしているとだけ伝えたような気がする。

今思うとその区別、決して彼女たちに心を開いていなかったという訳ではなかった(むしろとても仲が良かった)のだが、その理由は未だ自分でも分からない。


さて、そういう状況の下、未だ忘れられない出来事がある。

ある時期、会社でよくベントがあった。

その当時の店長が、イベント好きということもあった。

それらのイベントには多くの社員が参加したのだが、当時私は持病のコントロールがすこぶる悪く、どうしても参加する気になれなかった。

また今のようにインスリンを自分で調節する自由もなかったので、イベント=血糖値が上がるという方程式が、しっかり頭の中で出来上がっていたのだ。

イベントが苦手な社員は私以外にも何人かいたけれど、徹底して参加しなかったのは私とあと数人くらいのものだった。


考えてみれば、上司としてはせっかくコミュニケーションの場を数多く設けているのに、一向に参加する気配が感じられない社員は、いったいどうしたものかと思われたのかもしれない。

なのでそんな自分を含むその人たちは、上層部の人たちから「付き合いの悪い社員」として見られても仕方なく、やがて社内で会っても何となくよそよそしさを感じるようになった。


正直それがとても寂しかった。

病気以前に決して性格的に外交的ではなかったにせよ、病気さえなければ、又はもう少し上手くコントロール出来てさえいれば、一度や二度参加するのに、といつも思っていた。

と同時に、やはり入社する時に病気のことは伝えておくべきだったのかも、とさえ思った。


またここで改めて社会で人脈を広げる際、いかに食事を共にすることが大切なコミュニケーションに繋がるかということを、身に染みて感じた。

重ねて外食時、決められたインスリンに合わせた食事をとることが、特に度重なる場合はどんなに難しいことなのか、思い知ることになった。


ただ一方で、病気のことを多少なりとも打ち明けている人たちとは、食事の場があろうとなかろうと、とても良い人間関係を築けていたのがとても救いになった。


今振り返ってみると、あの頃初めて「嫌われる」とまではいかないにしても、少なくとも「みんなに好かれようとしない」勇気を、自分の中に持とうと思い始めていたような気がする。

日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~