42.Y子先生と運動療法

楽器店に勤め始めて間もない頃、新しく習い事を始めた。

それはカルチャーセンターで開講されていた「バレエストレッチ」という講座だった。

‘バレエ’と名が付くだけあって、ストレッチはストレッチでも、ただ伸ばせば良い訳ではなかった。

まさにバレエの基礎レッスンそのもの、身体のポジションから始まり、手足のつま先までしっかり意識して、じわじわと伸ばしていく。

それはまるで、身体と同時にメンタルをも鍛えられているような、そんなレッスンだった。


実は1型糖尿病を発症したとき、食事療法と同時に、日々適度な運動をするように指示されていたこともあって、何か1つでも身体を動かすことをやりたいとずっと思っていた。

それも出来るだけ無理なく日々続けられるようなことを。


発症当時は学生だったため、ちょうど演劇サークルの基礎練習メニューの中に身体訓練があって良かったのだが、社会に出ると途端に何もなくなってしまった。

なので習い事どころではなかった上京時から、帰省して慣れ親しんだ地元で新しいことを始めるには、タイミング的にもちょうど良かったのだ。


そんな時に出会ったこの講座。

たまたまその講座自体も、その年度に新規で開講した講座だったため、先生も生徒も全員初対面同士で、一気にみんな仲良くなった。

しかもいつも新しい出会いの場で言おうか言うまいか迷ってしまうこと=持病のことを、何故かこの時講師のY子先生と、生徒の中でも特に仲良くなった人達にはツルリと難なく言えたのだ。


さて、ここで出会ったY子先生。

実はカルチャーセンターの講師である以前に、地元では当時にして知る人ぞ知る名プロデューサーだったのだ。

後々某地元テレビ局のアクターズスクール(まさに当時Perfumeがいた!)の立ち上がり当時の先生になられたり、年に何度か全国的に有名なパフォーマンスグループやダンサーなどを地元に呼んだりと、いつもエネルギッシュに活動されていた。


そんなかなりご多忙でありながらとても親しみ易かったY子先生には、今思うと、かつて東京で楽しみ切れなかったことを地元に居ながらにして、たくさん楽しませて頂いたような気がする。

それはカルチャーセンターでのレッスンに留まらず、クラッシックバレエやジャズ、モダンダンスなど、国内外さまざまなダンス(もちろんそれらはほとんど鑑賞する側として)の楽しみ方を、幅広く教えて頂くまでに至った。

当時のことを今振り返ってみても、Y子先生には感謝しても感謝し切れない。


ただこのカルチャースクール、開講から約10年くらい通った頃、楽器店を辞めて転職することになって、続けることが出来なくなってしまった。

それは本当に残念で寂しかった。


でもその後も当時習ったストレッチは、バーレッスン以外ほぼメニューもあのまま、今も続けている。

そして、このストレッチと同時に教えて頂いた呼吸の大切さから、後にヨガにも興味が湧くようになり、少しずつやってみるようになった。


あの講座を受け始めてから、いつの間にか30年近くなる。

ストレッチにしてもヨガにしても、何だかんだ続けられているのは、自分にとってそれらがまずまず適した運動療法だったのかもしれない。

もちろん週にほぼ2回、しかも自宅でゆる~くゆる~くする程度のものだけれど、何よりもそれらをした後に、いつも気分がすっきりする。

決して華やかな運動療法でもなく、というより‘運動’という程のものすらないかもしれないけれど、でもまあ、今後もマイペースで続けて行こうと思っている。

本当は寄る年波、もっと筋肉をつけてパワフルにジムにも通ってみたいのだが、…さあ、どうだろ。

Y子先生のレッスンに通っていた頃、大大ファンだったシルヴィ・ギエム。

さいたまの芸術劇場まで追っかけをしたのも良き思い出。

100年に一度出るか出ないかの奇跡のダンサーと言われていただけあって、とても同じ人間とは思えないスタイルに表現力、そしてテクニック。

最近になってロシアや北欧の新体操選手にたまに観られるポーズだが、当時この「6時のポーズ」を初めて観たときにはとても驚いた。


日日是好日

1987年から平成までの、1型糖尿病と共に過ごした日々を綴ります。 今日一日がたとえどんな日であっても、ベストを尽くせばすべて好し。 これからも、そんな気持ちで日々を過ごして行きたいな。 2019年4月4日~