43.ベストを尽くしているはずなのに
楽器店の仕事はとても楽しかったけれど、体力的には以前の仕事に比べると断然ハードだった。
東京で働いていた会社では、総務という職種だけにほとんど机上の仕事。
休憩時間も規則正しく、ほぼ自分のペースで仕事が出来た。
一方楽器店ではまずはレジ、そして店頭では接客や商品管理などの立ち仕事。
加えてその裏では伝票処理などの事務仕事、というふうに、始終立ったり座ったりでバタバタ動き回っていた。
また休憩時間も常に店頭の様子を見ながらスタッフ全員交代で取るため、いつもまちまち、以前のようにマイペースで、という訳にはいかなかった。
なのでどうしても血糖値のコントロールは、それまで以上に乱れた。
ただもちろん昼食はほとんど自分で弁当を作ったし、それ以外は出来るだけコンビニなどでカロリー表示のあるものを選び、支持されたカロリー(当時は糖質ではなくカロリー制限だった)を守った。
自分に出来ることは、自分なりに常にベストを尽くしていたつもりだった。
が、それにもかかわらず血糖値のコントロールは全く良くならなかった。
帰省後に再びお世話になったクリニックのI先生は、やっと辿り着いた1型専門の先生。
それだけにこの先生のおっしゃる通りにしていれば、きっと血糖値も下がり、コントロールも良くなるはず、と信じていた。
当時1型糖尿病で活躍されていた元巨人軍のガリクソン選手や、元ミス・アメリカのニコール・ジョンソンさん。(画像はお借りしました。)
彼らの生活は、もちろん多忙でハードだろうし、決して常にハンコで押したような生活を日々送られているとは思えない。
自分の生活は確かに多少は不規則ながらもまだまだ想定内。
なのにどうしてあんなに良いコントロールが出来るんだろうと、不思議でならなかった。
周りに同病の知人や友人も誰もいなかったので、自分を客観的に観ることが出来ないのはもちろんのこと、誰と比較するまでもなく常に劣等意識があった。
またそれとは別に、どこか自分の中で何かが違うといつも思っていた。
先生の指示通りインスリンを打ったとして、全く効果が出ないのは何故だろうって。
この状況からどうがんばれば良いのか、それが全く分からなかったのだ。
元々この病気になる前から女性ホルモンの流れがかなり乱れていたこともあって、とにかく生理前になるとインスリンを入れても入れても効かなかった。
と思いきや、生理になるといきなりドスンと急降下。
また上京中に、明け方繰り返しかなり危ない低血糖になっていたあの症状が、しばらくしてまた出始めていた。
帰省して3か月、半年、1年と経って行くにつれ、血糖値は常にジェットコースターのような乱高下。
高いからインスリンを増やして打つ。
すると一日のうちのどこかで、かなりきつい低血糖になる。
ずっとその状態を繰り返して底上げ状態になり、遂に悪循環に陥ってしまった。
平成4年の帰省時から平成5年の6月まで使っていたインスリンは、ペンフィル30RとノボリンU。
今考えてみれば自分のようなタイプに、混合型と持続型ではどうしても限界があるだろうとは思う。
けれどそんな中でも当時出ているインスリンで、上手くコントロール出来ている同病の人たちがたくさんいたはず。
患者の身体は千差万別で、決して比較してどうこういう問題ではないとは思いつつも、自分の努力がことごとく結果に結びつかなかったその原因を、今でもとても疑問に思う。
体重も増えたまま全く戻ることなく、むしろ増え続け、気分は落ちていくばかりだった。
ただそんな状態であっても仕事は楽しく、仕事をすることでそんな気持ちを切り替えることが出来た。
そう、仕事が忙しければ忙しいほど、自分のその状態を一時でも忘れることが出来たのだ。
糖尿病の怖いところは数値的にかなり悪くても、ある程度日常生活は、ほぼ変わりなく送ることが出来るところだ。
楽器店に入社して2~3年間の間、診察時のあり得ない数値を見てみないふりをしながら、日々過ごしていた。
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